好意を持っている異性と二人でいて、隣に座ったのに、無意識に相手との間に相手の荷物などを置くようなら、残念ながらそれは拒絶感の表れ。今のところ心はオープンにしていない根拠なのである。
ありとあらゆる完璧と言われる恋愛の物語には母としての愛がある。真の女性としての素質を備えた女たちがそろって男の真の力をとても魅力的に感じるのは、男の隠れている弱さを知っているからなのだ。
男性が涙を見せると女心をひきつけるだろうけれど、状況によっては「つまらない泣き虫君」にとらえられる予測もあるかもしれない。
「次回はどこか飲みに行こうよ?」と聞いてみて、「ゆくゆくはイケたら」とその相手からお返事のメールがきちゃったら、高確率で実現できない。
それは確かに実際のものとして大人になって考えればありえないきれいごとかもしれない。だがしかし、そんなふうになってほしいとか非現実的な願いだって考えられても本心から夢見るのが恋愛なのだ。
雰囲気のないところでは女性に告白できないような男は“男性性”が不足していると推察できる。もしも“男性性”があるのならムードに頼らなくてもガンガン攻められるし、女性から自分に近づいてくる。
近づきたい人の後ろから不意にあなたがその人の名前を呼んでみて、相手が右側から振り向いたら、きっとその人はあなたを異性として見ている(恋愛の対象として可能性◎)と様になります。もしもその人が左側から振り向いたら、単に人間として見ている(恋人候補にはなれないかも)のだ。
○○ちゃんに会えると嬉しいな、肩の力が抜けるな、とか、信頼関係を作っていく内に「○○ちゃんが好きでたまらない」という想いを見出すのだ。恋愛という難解なものにはそんな時間が必須なのだ。
雰囲気不足では女性に声をかける事ができない、そんな男は“男性性”が間違いなく不足している。逆に“男性性”があればムードがなくてもイケイケでいけるし、女性から男性に寄ってくる。
結婚相手を見つける活動を実行している20代の女性のケースでは、合同コンパから士業だけのお見合いパーティーまで「出会いのワンダーランド」にアクティブに出席していると推察されます。
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